三田尻塩田記念産業公園 2007/8/10

防長三白(米、和紙、塩)の一つ、塩が作られた塩田跡に立ち寄ってきた。周りは、工業団地に生まれ変わっており、ほんの一部が塩田公園として残されている。お土産用の塩程度なら採れるようで入園記念に一袋もらえる。入浜方式は、潮が満ちたときに海水を取り込み、「海底の砂」「つけすな」「張砂」「持砂」の4層からなる砂浜に、浸透圧で海水を浸み込ませる。それに、側溝の海水を砂に撒く。塩水を含ませた砂浜に、雨の少ない瀬戸内の太陽が降り注ぎ水分を蒸発する。砂は、「かん砂」と呼ばれる塩分を多く含んだ状態になる。つぎに、「かん砂」を寄せ集めて「沼井」に入れて塩水を注ぐと塩分の多い「かん水」になる。更に「濃縮台」を通して、塩分を濃くした上で、竈で焚きあげて水分をとると塩ができる。塩田ができる前は、「塩焼き」と呼ばれる方法で塩をとり、近辺の需要をまかなっていた程度だったが、塩田として整備された後は、蝦夷地御用として幕府に一万石を収めるほど大量にとれるようになった。当時は、三田尻港ではなく、中関(山口県には、下関、中関、上関と3つの関がつけられた港があった)から北前船に積み込まれた。
ところで、塩田で仕事をする人を「浜子」と呼ぶ。心臓破りの丘で有名な「ボストンマラソン」で優勝した浜村選手も一時ここで働いていたと聞いたことがある。小学校時代に学校前の国道二号線をオープンカー(だったと思う)ででパレードした姿は、懐かしい思い出である。全員で歩道に出て「日の丸」を振った。余談だが、この道路は、小学校に入学した頃にも戦車が走っていた。後でわかったことだが朝鮮動乱であった。

上げ潮で側溝に入ってきた塩水を砂浜に撒き水分を蒸発させる

塩を含んだ砂をかき集めて濃い塩水を作る沼井

濃くなった塩水をアスファルトと小石で作った隙間を通してさらに濃くする濃縮台
(竹の枝に海水を掛けて風で水分を蒸発させる方法もある)

「かんすい」を煮詰めるための竈用の煙突

かんすいを煮詰めて塩にする装置

塩田公園の芝生に咲いていた小さな花

ぶらり散策